『百妖譜』の最終回はどうなるのか、アニメを見進めるうちに桃夭たちの旅の行方が気になった方も多いのではないでしょうか。
アニメ第1期の最終回となる第12話は「騰根(下)」で、蠱師の一族に生まれた老婦の過去が明かされ、彼女と夫をめぐる物語が結末を迎えます。
この記事では、『百妖譜』最終回の結末をネタバレありで整理しながら、アニメ第1期を通して描かれた物語のポイントや、桃夭たちの旅がその後どう続いていくのかを解説します。
この記事を読むとわかること
- 百妖譜のアニメ第1期最終回「騰根(下)」の結末と桃夭たちの旅がどうなるのか
- 老婦と騰根の過去や関係から読み解く最終回のポイントと第1期で描かれたテーマ
- 第1期の主要エピソードの流れと最終回後に続く桃夭たちの旅
百妖譜の最終回は「騰根」の物語が結末を迎え桃夭たちの旅は続く
『百妖譜』の最終回で桃夭たちの旅そのものが終わってしまうのか、気になっている方もいるでしょう。
アニメ第1期は第12話「騰根(下)」が最終回ですが、桃夭たちの物語そのものがここですべて完結するわけではありません。
最終回では第11話から続く「騰根」のエピソードに決着がつき、蠱師の一族に生まれた老婦と、その夫に隠された過去が描かれます。
一方、妖怪専門の医者である桃夭や磨牙たちの旅にはまだ続きがあり、第2期では新たな妖怪たちとの物語が展開していきます。
つまり第1期の最終回は作品全体の結末というより、「騰根」という一つの物語を締めくくりながら、桃夭たちの旅がこれからも続いていくことを感じさせる区切りとして見るとわかりやすいでしょう。
アニメ第1期の最終回は第12話「騰根(下)」
『百妖譜』のアニメ第1期は全12話で構成されており、最終回にあたるのは第12話「騰根(下)」です。
第1期では「灰狐」「漱金」「蜉蝣」「慶忌」「乖龍」「騰根」といったエピソードが、それぞれ基本的に前後編で描かれてきました。
| 話数 | エピソード |
| 第1話~第2話 | 灰狐 |
| 第3話~第4話 | 漱金 |
| 第5話~第6話 | 蜉蝣 |
| 第7話~第8話 | 慶忌 |
| 第9話~第10話 | 乖龍 |
| 第11話~第12話 | 騰根 |
そのため「騰根」は第1期最後のエピソードであり、第11話「騰根(上)」から始まった物語が第12話で結末へ向かいます。
第12話では、桃夭から夫の身体にいつ蠱母を植え付けたのか問われた老婦が、自分の過去を語り始めます。
彼女は蠱師の一族に生まれ、幼いころから一族が人間に蠱を植え付けて命を奪う様子を目にしていました。しかし、その風習に反発したことで折檻を受けるなど、過酷な環境で育っています。
やがて大火事によって一族は全滅し、ただ一人生き残った彼女は山を下ります。普通の人間として暮らそうとしますが、腕に残された蠱師族の印によって迫害を受けることになります。
最終回を見る際は、単に妖怪や蠱をめぐる事件としてではなく、老婦がどのような人生を歩み、なぜ現在の選択へ至ったのかに注目すると「騰根」の物語を理解しやすくなります。
第1期だけですべての物語が完結するわけではない
「最終回」という言葉から、『百妖譜』そのものが第12話で完結すると思ってしまう方もいるかもしれません。
しかし、第12話で完結するのはアニメ第1期であり、桃夭を中心とした『百妖譜』の物語全体ではありません。
第1期は、桃夭が旅先で出会った妖怪や人間が抱える問題に向き合っていく、複数のエピソードによって構成されています。
そのため、一つの大きな敵を倒してすべての謎が解決するタイプの最終回ではなく、「騰根」の物語に一区切りをつける形で第1期が締めくくられます。
桃夭自身についても、旅を続ける目的を含めてまだ先につながる要素が残されています。
第1期の最終回だけを見て「途中で終わったのでは?」と感じた場合も、物語には続編があることを知っておくと理解しやすいでしょう。
桃夭・磨牙・柳公子の旅は最終回後も続いていく
第1期の最終回を迎えたあとも、桃夭たちの旅は終わりません。
第2期では、第1期から続いて桃夭、磨牙、柳公子たちが各地を巡り、新たに出会った妖怪たちが抱える問題に向き合っていきます。
桃夭は妖怪を専門に診る「霊医」として旅を続け、その道中でさまざまな妖怪や人間と出会います。
第2期では「応声」「化蛇」「媪姫」「照海」といった新たな妖怪が登場し、それぞれの事情を抱えた物語が描かれていきます。
そのため第1期の最終回は、桃夭たちとの別れを意味するラストではありません。
むしろ、一つの土地で出会った妖怪の問題を解決し、また次の場所へ向かうという『百妖譜』らしい物語の流れの中にある区切りと考えるとよいでしょう。
第1期を見終えて「桃夭たちはこのあとどうなるの?」と気になった方は、第2期以降を見ることで旅の続きを追うことができます。
ただし、第1期の最終回そのものを理解するためには、まず「騰根」で描かれる老婦の過去と夫との関係を整理しておくことが重要です。
次の見出しでは、最終回の内容をより詳しく理解できるように、第12話「騰根(下)」のあらすじを紹介していきます。
百妖譜のアニメ第1期最終回「騰根(下)」のあらすじ
『百妖譜』第1期の最終回となる第12話「騰根(下)」では、第11話から続いてきた老夫婦の秘密と、老婦の壮絶な過去が明らかになっていきます。
物語の大きなポイントは、老婦と夫の関係、そして「騰根」と蠱師一族との因縁です。
桃夭は老婦に対し、夫の身体にいつ蠱母を植え付けたのかと問いかけます。そこから、これまで普通の老夫婦に見えていた二人がどのように出会い、長い年月を共に過ごすことになったのかが描かれていきます。
最終回は派手な戦いだけで締めくくるのではなく、老婦が背負ってきた過去と二人の絆に焦点を当てているのが特徴です。
桃夭が老婦と夫に隠された秘密を見抜く
第11話で桃夭たちは、神女閣を訪れたことをきっかけに老夫婦と出会います。
一見すると長年連れ添ってきた普通の夫婦ですが、桃夭は二人に隠された事情に気づいていました。
第12話では桃夭が老婦に対し、夫の身体にいつ蠱母を植え付けたのかと問い詰めたことから、老婦の過去が語られ始めます。
ここで重要になるのが「蠱」と「騰根」の存在です。
騰根は蠱を食べる神獣であり、蠱師の一族と五大蠱母を滅ぼす役目を担っていました。
ところが、蠱師一族をめぐる出来事の中で、すべてが単純に「蠱師は悪、騰根はそれを倒す存在」と整理できるわけではないことが見えてきます。
桃夭の問いかけをきっかけに、現在の老夫婦の姿と過去の出来事がつながっていくところが、「騰根(下)」を見るうえで大きなポイントです。
老婦が蠱師の一族で育った壮絶な過去を語る
老婦はもともと、蠱を扱う蠱師の一族に生まれた人物でした。
しかし、彼女自身は一族の風習を当然のものとして受け入れていたわけではありません。
幼いころから、よそから連れてこられた人間に蠱を植え付けて命を奪う様子を目の当たりにしており、その風習に反抗するたびに折檻を受けていました。
つまり彼女は蠱師一族の人間でありながら、一族の行いに疑問を抱き続けていたのです。
そんな中、ある晩に大火事が起こり、蠱師の一族は全滅します。
老婦だけが生き残りますが、それによって自由で平穏な生活を手に入れられたわけではありませんでした。
生まれる場所を自分では選べなかったにもかかわらず、「蠱師の一族に生まれた」という事実が、その後の彼女の人生にも影を落としていきます。
この過去を知ることで、老婦がなぜ蠱に対して強い思いを抱いているのかも理解しやすくなります。
一族を失った老婦は普通の人間として生きようとする
大火事によって一族を失った老婦は、ただ一人生き残り、山を下ります。
彼女が望んでいたのは、蠱師として生きることではありません。
蠱師一族の風習から離れ、町で普通の人間として暮らすことを望んでいました。
しかし、彼女の腕には蠱師族であることを示す印が残されていました。
その印を理由に周囲から受け入れてもらえず、町に出たあとも迫害を受け続けることになります。
自分自身は一族の残酷な風習に反抗していたにもかかわらず、その出自によって判断されてしまうのです。
そんな彼女と関わることになるのが騰根です。
騰根はもともと蠱師一族と蠱母を滅ぼす側の存在でしたが、幼い彼女が一族の風習に反抗していたことを知り、彼女を見逃します。
さらに少年の姿となって彼女のそばに寄り添い、二人は長い時間を共に過ごしていくことになります。
現在の老夫婦だけを見るのではなく、「本来なら敵対するはずだった二人がなぜ共に生きるようになったのか」という視点で見ると、最終回の物語がより理解しやすくなります。
第12話「騰根(下)」は、老婦の過去を明らかにすることで、第11話から張られていた老夫婦をめぐる謎を一つずつ回収していくエピソードです。
そして二人の過去を知ると、夫の身体にある蠱母や、老婦が蠱をなくそうとしている理由も違った意味を持って見えてきます。
次の見出しでは、老婦が夫の身体に蠱母を植え付けた理由にも触れながら、「騰根」の物語がどのような結末を迎えるのかを詳しく解説していきます。
百妖譜の最終回で描かれる老婦と夫の結末
『百妖譜』第1期の最終回では、老婦と夫がなぜ長い年月を一緒に過ごしてきたのか、その背景が明らかになります。
夫の正体は蠱を食べる神獣・騰根であり、かつて蠱師一族を滅ぼす使命を負っていました。しかし、幼い老婦を見逃したことをきっかけに彼女のそばで生きるようになり、二人は長い年月を共に過ごしてきたのです。
つまり「騰根」は、敵対するはずだった二人が出会い、互いを理解しながら共に生きてきた物語でもあります。
そして最終回では、騰根が老婦のもとを離れなければならない事情も判明します。
ここからは、夫に蠱母が植え付けられていた理由や二人の関係、桃夭が関わることになった本当の理由を順番に見ていきましょう。
老婦が夫の体に蠱母を植え付けた理由とは
桃夭は老婦に対し、長年連れ添ってきた夫の身体に、いつ蠱母を植え付けたのかと尋ねます。
この問いだけを見ると、老婦が蠱の力を利用して夫を自分から離れられないようにしたとも受け取れるでしょう。
しかし二人の過去をたどっていくと、その関係は単純な蠱の力だけでは説明できません。
騰根は本来、蠱師一族と五大蠱母を滅ぼすために現れた神獣でしたが、一族の風習に反抗していた幼い老婦を見て彼女だけは殺さず、少年の姿になってそばにいることを選びました。
そこから二人は出会い、互いを知り、長い年月を共に過ごしていきます。
老婦は幼少期に蠱によって人が命を奪われる光景を見てきたため、成長してからは世の中に存在する蠱をなくそうとしていました。
そして騰根も彼女と行動を共にし、二人は旅を続けて京城までやって来ます。
蠱師の末裔と、蠱を食べる騰根という本来なら相いれない存在が、何十年も夫婦として寄り添っていること自体が、このエピソードの重要なポイントです。
桃夭が蠱母について問いかけたことで、表面上は普通の老夫婦にしか見えなかった二人の間に、長い歴史があったことが明らかになっていきます。
夫婦の過去から見えてくる「騰根」の本当の意味
騰根は、最初から老婦の夫として生きるために現れたわけではありません。
騰根には蠱師一族と五大蠱母を滅ぼす使命があり、その過程で幼い老婦と出会ったことが二人の関係の始まりでした。
老婦は蠱師一族の血を引いていますが、幼いころから一族のやり方に反発していました。
騰根はそんな彼女の姿を見て命を奪わず、やがて少年の姿となって彼女のそばに寄り添います。
その後、二人は長い時間を一緒に過ごし、やがて老夫婦と呼ばれるほどの年月を重ねました。
ところが、人間である老婦と神獣である騰根では、同じ時間を生きていても背負っているものが違います。
騰根には果たすべき使命があり、いつまでも人間として老婦の隣にいられるとは限りません。
「騰根」を見る際は、妖怪や蠱の能力だけでなく、本来は異なる世界に属する二人が、それでも一緒に生きることを選んできた点に注目すると物語の切なさが伝わりやすくなります。
老婦にとって騰根は、蠱師の末裔という理由で迫害された自分を受け入れ、長い人生を共にしてくれた大切な存在だったと考えられます。
一方の騰根にとっても、老婦は単に使命の途中で見逃した人間ではなく、何十年もの時間を一緒に過ごしてきたかけがえのない相手になっていました。
桃夭が二人に示した答えと最終回のラスト
最終回で明らかになるもう一つのポイントが、騰根が桃夭と関わった本当の理由です。
騰根は使命を終えて呼び戻されることになっていましたが、老婦と離れたくなかったため、桃夭にいわば「病気を理由に休むための証明」を求めていたことが明らかになります。
壮大な使命を背負った神獣でありながら、その理由は長年連れ添った相手ともう少し一緒にいたいという非常に人間らしいものでした。
老婦もまた、幼いころに経験した出来事から蠱をなくすことを望み、騰根と共に旅を続けてきました。
二人の関係を知ると、騰根がなぜ老婦から離れたくないのかも理解しやすくなります。
第1期の最後に描かれるのは、妖怪を倒して終わる結末ではなく、種族や使命を越えて誰かと共に生きたいと願う気持ちです。
『百妖譜』では、それまでのエピソードでも妖怪が抱える感情や、人間との間に生まれた絆が描かれてきました。
「騰根」も同様に、妖怪の不思議な能力そのものより、その力を持つ存在が何を思い、誰と一緒に生きたいのかという部分が物語の中心になっています。
そのため、第12話だけを見ると一組の老夫婦をめぐるエピソードですが、第1期全体を振り返ると『百妖譜』らしいテーマが凝縮された締めくくりといえるでしょう。
そして、こうした人間と妖怪の感情を丁寧に描いていることは、「騰根」だけに限った特徴ではありません。
次の見出しでは、第1期のエピソードを振り返りながら、『百妖譜』の物語を理解するうえで重要となる人間と妖怪の心について解説していきます。
百妖譜の物語のポイントは妖怪だけでなく人間の心にもある
『百妖譜』というタイトルから、さまざまな妖怪の能力や戦いを楽しむ作品だと思っている方もいるでしょう。
しかし、第1期を最後まで見ると、物語の中心にあるのは妖怪そのものの珍しさだけではないことがわかります。
『百妖譜』の大きなポイントは、妖怪が抱える病や問題を通して、人間と妖怪の「心」を描いていることです。
桃夭は妖怪専門の医者である霊医として旅を続け、各地で出会った妖怪の心の声を聴きながら、その傷や悩みに向き合います。
そこにあるのは「生きたい」「誰かと一緒にいたい」といった、妖怪だから特別なのではなく、人間にも重ね合わせられる感情です。
そのため、第1期の各エピソードは独立した妖怪の物語として楽しめる一方、すべてを通して見ることで『百妖譜』が描こうとしているテーマも見えやすくなります。
桃夭が治しているのは妖の傷だけではない
桃夭は、妖怪が抱えている病や問題を解決する「霊医」です。
しかし、桃夭が向き合うものは身体に現れた症状だけではありません。
妖怪がなぜ苦しんでいるのかをたどっていくと、その奥には誰かへの思いや後悔、執着など、心に関係する理由が隠されていることがあります。
たとえば「灰狐」では、人間になった灰狐が40年前に一緒に遊んだ少年と再会します。
ところが、かつて平和を願っていた少年は、長い年月を経て大きく変わっていました。
灰狐は人間の姿になることはできても、なぜ人の心がこれほど変わってしまうのか理解できず苦しみます。
「漱金」でも、金を生み出すという特殊な力そのものだけが問題になるわけではありません。
漱金鳥は長年にわたり吉祥の存在とされてきましたが、自分が生み出した金によって争いや死が起きる様子も見てきました。
その後、貧しくても温かく暮らす家族と出会ったことで、それまでとは違う時間を過ごすことになります。
妖怪の能力よりも、その力を持ったことで何を経験し、何を感じたのかに注目すると、『百妖譜』の物語をより深く理解できます。
桃夭の治療は、こうした妖怪たちの過去や心と向き合うことまで含めて描かれているのです。
人間と妖怪のどちらが善か悪かを単純に決めない物語
『百妖譜』では、妖怪だから悪く、人間だから善良という単純な分け方はされていません。
人間にも残酷な一面があり、妖怪にも誰かを大切に思ったり、約束を守り続けたりする優しさがあります。
この点がわかりやすく描かれているのが「灰狐」です。
灰狐がかつて知っていた少年は、40年後には大きな権力を持つ将軍となり、以前とは異なる人物へ変わっていました。
一方、妖怪である灰狐は、昔の記憶や少年への思いを抱え続けています。
「慶忌」でも、人間と妖怪の間に生まれた友情が重要な意味を持ちます。
慶忌はかつて親しくしていた少年の消息を知ろうとし、残されていた日記を読むことで、二人が会わなくなった本当の理由や少年の思いを知ることになります。
人間か妖怪かという違いよりも、「その人物が誰かをどう思い、どのような選択をしたのか」が重要なのが『百妖譜』の特徴です。
最終回の「騰根」でも同じことがいえます。
老婦は蠱師一族の出身ですが、一族が行っていたことに反発していました。一方の騰根も、本来の使命だけに従うのではなく、彼女を見逃し、その後長い年月を共に過ごします。
出自や種族だけでは、その人物の善悪や心までは判断できません。
第1期を通してこうした物語が繰り返されることで、人間と妖怪の境界を越えた感情が描かれています。
出会いと別れを通して「生きること」を描いている
『百妖譜』では、桃夭たちが旅を続けているため、一つの場所にずっととどまるわけではありません。
妖怪や人間と出会い、その問題に向き合い、やがて別れて次の土地へ向かいます。
その出会いと別れを繰り返しながら、「限られた時間をどう生きるのか」「大切な相手とどう向き合うのか」というテーマが描かれています。
特にわかりやすいのが「蜉蝣」のエピソードです。
人間の世界で生きることに疲れた郎は、自ら命を絶とうとしていたところを一人の少女に助けられます。
天真爛漫な少女と過ごすうちに、郎は再び生きる勇気を取り戻していきます。
しかし、蜉蝣という存在は人間とは同じ時間を生きられません。
長く生きられることが必ず幸せとは限らず、反対に短い命だからこそ一瞬一瞬を大切にできることもあります。
「慶忌」では、もう会うことのできない相手が残した思いを知ることが描かれ、「騰根」では長い時間を共に過ごした相手と離れたくないという気持ちが描かれます。
それぞれ設定は違っていても、「限りある時間の中で誰かを思う」という部分は、第1期の複数のエピソードに共通しています。
だからこそ『百妖譜』は、妖怪を題材にしたファンタジーでありながら、登場人物の気持ちを自分自身に重ねて見やすい作品といえるでしょう。
第1期の最終回「騰根」も単独で見ることはできますが、それ以前の物語を振り返ることで、こうした共通点がより見えやすくなります。
次の見出しでは、「灰狐」「漱金」「蜉蝣」「慶忌」「乖龍」「騰根」という第1期のエピソードを振り返りながら、それぞれで何が描かれていたのかを整理していきます。
百妖譜の最終回までに登場した妖怪とエピソードを振り返る
『百妖譜』第1期では、最終回の「騰根」までにさまざまな妖怪と人間の物語が描かれます。
第1期は全12話で、「灰狐」「漱金」「蜉蝣」「慶忌」「乖龍」「騰根」という6つのエピソードが、それぞれ前後編で描かれています。
登場する妖怪や抱えている問題は異なりますが、誰かを思う気持ちや人間との関係、過ぎていく時間など、共通するテーマも少なくありません。
| 話数 | エピソード |
| 第1話・第2話 | 灰狐 |
| 第3話・第4話 | 漱金 |
| 第5話・第6話 | 蜉蝣 |
| 第7話・第8話 | 慶忌 |
| 第9話・第10話 | 乖龍 |
| 第11話・第12話 | 騰根 |
ここでは最終回をより理解しやすくするため、第1期で特に印象的なテーマを振り返っていきます。
灰狐で描かれた人間の変化と友情
「灰狐」で大きなポイントとなるのは、長い年月によって変わってしまった人間と、それを理解できない妖怪のすれ違いです。
人間の姿となった灰狐は、40年前に一緒に遊んでいた少年と再会します。
しかし、かつて平和を愛し、灰狐と夢を語り合った少年は、40年後には強大な権力を持つ大将軍へと変わっていました。
将軍となった彼は2万人の降伏兵を殺すなど、人々から恐れられる存在になっています。
それだけでなく、目の前にいる灰狐がかつての友人だと気づかず、殺すように命じます。
灰狐は人間の姿になることには成功しましたが、人間の心がなぜここまで変わってしまうのかを理解できません。
「人間になりたい」と願った妖怪が、人間の外見ではなく「心」を理解できず苦しむところが、このエピソードの重要な部分です。
第1期の最初に「灰狐」が描かれることで、『百妖譜』が単純に妖怪を退治する物語ではないことも伝わってきます。
漱金と蜉蝣で描かれた命と願い
「漱金」と「蜉蝣」では、それぞれ異なる形で命や幸せについて描かれています。
「漱金」に登場する漱金鳥は、金を生み出せることから長い間、吉祥の存在として扱われてきました。
しかし、漱金鳥が目にしてきたのは幸せな出来事ばかりではありません。
自分が生み出す金によって争いや死が起きる一方、貧しくても温かく暮らす家族との出会いによって、それまで知らなかった幸せに触れることになります。
金があれば必ず幸せになれるわけではないという、人間にも通じるテーマが描かれているエピソードです。
一方、「蜉蝣」では人間の世界で生きることに疲れ、自ら命を絶とうとしていた郎の過去が語られます。
そんな郎を救ったのが、偶然通りかかった少女でした。
天真爛漫に生きる少女と一緒に過ごすうち、郎は再び生きる勇気を取り戻していきます。
そして少女は1日の終わりに、郎へ自分と結婚してほしいと頼みます。
「漱金」と「蜉蝣」を続けて見ると、財産や寿命の長さだけでは測れない「幸せとは何か」という問いが見えやすくなります。
どれだけ長く生きるかではなく、その時間を誰とどのように過ごすのかが重要であることは、最終回の「騰根」にもつながるポイントです。
慶忌と乖龍で描かれた人間と妖怪の絆
「慶忌」と「乖龍」でも、人間と妖怪の関係が物語を動かす重要な要素となっています。
「慶忌」では、鏡花沢を訪れた桃夭たちが、古い友人である慶忌から助けを求められます。
その後、桃夭たちは慶忌と親しかった少年について調べますが、少年はすでに亡くなっていました。
残されていた日記を読んだ慶忌は、二人が会わなくなった理由と、少年が自分に向けていた本当の優しさを知ります。
会えなくなってしまったあとでも、相手を思う気持ちは残り続けることが描かれているエピソードです。
第9話・第10話では「乖龍」の物語が描かれます。
ここでも桃夭が妖怪の抱える事情に関わることで、表面的に見えていた問題だけではなく、その背景にある人間との関係が見えてきます。
『百妖譜』では、人間と妖怪が出会ったことによって生まれた感情や、その後も残り続ける思いが物語の重要な軸になっています。
妖怪だから人間を理解できない、人間だから妖怪を恐れるという単純な関係ではなく、異なる存在同士でも心を通わせられることが描かれているのです。
騰根が第1期の締めくくりとして描いたもの
第1期最後の「騰根」では、それまでのエピソードでも描かれてきた「人間と妖怪の絆」が、老夫婦の長い人生を通して表現されます。
蠱師一族に生まれた老婦と、蠱師や蠱母を滅ぼす使命を持つ騰根は、本来であれば敵対する側にいる存在でした。
それでも騰根は幼い彼女を見逃し、その後は少年の姿となって彼女のそばで過ごすようになります。
「騰根」で描かれるのは、立場や種族が違っていても、一緒に過ごした時間によって相手がかけがえのない存在になっていくことです。
これは、「灰狐」で描かれた長い年月による変化、「漱金」や「蜉蝣」で描かれた幸せや命、「慶忌」で描かれた誰かを思い続ける気持ちとも重なります。
そのため「騰根」は、第1期の各エピソードと直接つながった物語ではないものの、これまで描かれてきたテーマを振り返りながら見ることができます。
第1話から順番に見返してみると、登場する妖怪は違っても、人間と妖怪の出会いを通して「心」を描くという軸が一貫していることに気づきやすいでしょう。
そして「騰根」が終わっても、桃夭の旅そのものが完結するわけではありません。
第1期で出会った妖怪たちとの物語に一区切りをつけたあとも、桃夭たちは新たな土地へ向かい、別の妖怪たちと出会っていきます。
百妖譜の最終回後はどうなる?第1期から続く桃夭の旅
『百妖譜』第1期の最終回を見終わると、「桃夭たちの旅はこのあとどうなるの?」と気になる方もいるでしょう。
第12話「騰根(下)」で第1期は終了しますが、桃夭たちの旅は終わらず、第2期へそのまま続いていきます。
第2期でも桃夭は磨牙や柳公子たちと各地を巡り、新たな妖怪が抱える問題に向き合っていきます。
さらに、桃夭が旅をしている大きな目的である「百妖譜」の行方も、シリーズを追っていくうえで重要なポイントです。
第1期は「騰根」で一つの区切りを迎えますが、桃夭自身の物語はまだ途中であり、その先を見ることで旅の目的や仲間たちについても少しずつ掘り下げられていきます。
桃夭が旅を続ける目的とは
桃夭は単に、困っている妖怪を治療するためだけに各地を旅しているわけではありません。
桃夭の旅には、失われた「百妖譜」を探すという目的があります。
桃夭は妖怪専門の医者である「霊医」として、旅の途中で出会った妖怪たちの病や悩みに向き合います。
第1期では「灰狐」「漱金」「蜉蝣」「慶忌」「乖龍」「騰根」と、さまざまな妖怪をめぐる物語が描かれてきました。
そのため、各エピソードだけを見ると「妖怪の問題を解決しながら旅をする物語」という印象が強いかもしれません。
しかし、シリーズ全体では桃夭自身にも旅を続ける理由があり、その一つが百妖譜を探すことです。
第2期の作品紹介でも、桃夭は小坊主の磨牙、第1期で仲間になった小狐妖、柳公子と共に、第1期から続く物語の中で失われた百妖譜を探して各地を巡ることが示されています。
各話に登場する妖怪の物語と、桃夭自身が百妖譜を追う物語という2つの流れを意識すると、シリーズ全体を理解しやすくなります。
第1期で残された桃夭自身をめぐる謎
第1期では多くの妖怪について過去や悩みが明らかになる一方、主人公である桃夭についてはすべてが説明されているわけではありません。
桃夭がどのような人物なのか、なぜ百妖譜を探しているのかなど、主人公自身に関する部分はシリーズを通して追っていく要素になっています。
桃夭は「桃都の霊医」と呼ばれ、人間ではなく妖怪を専門に診る特殊な存在です。
妖怪の心の声を聴き、その妖怪が抱えている問題を見抜く力を持ちながら、気ままでつかみどころのない一面もあります。
磨牙や柳公子と行動を共にしていても、自分自身についてすべてを語っているわけではありません。
第1期では旅先で出会った妖怪たちが中心となるため、桃夭自身について「もっと知りたい」と感じたまま最終回を迎えた方もいるでしょう。
第1期だけですべての答えが明かされないことは、物語が途中で終わっているというより、シリーズを通して桃夭の旅を追っていく構成だからと考えるとわかりやすいでしょう。
そのため「騰根(下)」まで見たあとも、桃夭自身の物語が気になる場合は第2期以降へ続けて見る楽しみがあります。
第2期以降も新たな妖怪との出会いが描かれる
第2期でも、第1期と同じように桃夭たちは旅先でさまざまな妖怪と出会います。
第2期では「応声」「化蛇」「媼姫」「照海」という妖怪たちが登場し、桃夭がそれぞれの抱える問題に向き合っていきます。
| 項目 | 内容 |
| 物語 | 第1期から続く桃夭たちの旅 |
| 旅の目的 | 失われた百妖譜を探す |
| 主な同行者 | 磨牙・小狐妖・柳公子 |
| 第2期で出会う妖怪 | 応声・化蛇・媼姫・照海 |
つまり、第1期最終回の「騰根」を見終えたからといって、桃夭たちとの物語がそこで終了するわけではありません。
一つの妖怪との出会いが終われば、桃夭たちは再び旅を続け、その先で新たな妖怪や人間と出会います。
このように短いエピソードを積み重ねながら大きな旅を描いていくことが、『百妖譜』シリーズの特徴の一つです。
第1期で好きだったのが妖怪ごとの切なく温かい物語だった方は、第2期以降も同じように新しい出会いを追いながら楽しめるでしょう。
また、現在のシリーズには第1期・第2期だけでなく、その後につながる「京師篇」「司府篇」「洛陽篇」も存在します。
そのため『百妖譜』の「最終回」を調べている場合は、第1期の最終回とシリーズ全体の最終回を分けて考えることが重要です。
第1期の第12話「騰根(下)」は、老婦と騰根の物語に決着をつけながら、桃夭たちの長い旅の一地点として締めくくられています。
次の見出しでは、ここまで紹介した第1期最終回の結末や物語のポイントを整理し、『百妖譜』の最終回についてまとめていきます。
次の見出しでは、第1期の最終回を迎えたあと桃夭たちの旅がどう続いていくのか、第2期以降の展開とあわせて紹介していきます。
百妖譜の最終回とアニメ第1期の結末・物語のポイントまとめ
『百妖譜』の最終回について、アニメ第1期の結末を中心に紹介してきました。
アニメ第1期は第12話「騰根(下)」で最終回を迎えますが、『百妖譜』という物語そのものがここで完結するわけではありません。
第12話で描かれるのは、第11話から続く「騰根」のエピソードの結末です。
蠱師一族に生まれた老婦の過去や、長年連れ添ってきた夫の正体、二人がどのように出会って共に生きてきたのかが明らかになっていきます。
一方、桃夭たちの旅は最終回後も続きます。
そのため第1期の最終回は、すべての謎を解決して物語を終えるというより、一つの妖怪をめぐる物語を締めくくり、次の旅へつなげるエピソードとして見ると理解しやすいでしょう。
最終回「騰根」は夫婦の人生を通して人の心を描く物語
第1期の最終エピソード「騰根」で中心となるのは、老婦と夫が歩んできた長い年月です。
夫の正体は蠱を食べる神獣・騰根で、本来は蠱師一族と五大蠱母を滅ぼす使命を持つ存在でした。
老婦はその蠱師一族に生まれていますが、幼いころから一族の残酷な風習に反発していました。
大火事によって一族が滅び、ただ一人生き残ったあとも、腕に残された蠱師族の印によって迫害を受けます。
そんな彼女を騰根は見逃し、やがて少年の姿となってそばに寄り添います。
本来であれば敵対していてもおかしくない二人でしたが、その後は長い年月を共に過ごしていきました。
「騰根」が描いているのは、妖怪と人間という違いや生まれた立場を越えて、長い時間を共にすることで生まれた絆です。
これは第1期で繰り返し描かれてきたテーマとも重なります。
「灰狐」では年月によって変わってしまった人間の心、「漱金」や「蜉蝣」では幸せや命、「慶忌」では離れてしまった相手を思う気持ちが描かれてきました。
登場する妖怪や物語はそれぞれ異なりますが、妖怪の不思議な能力だけではなく、その内側にある感情を描いている点は共通しています。
最終回を見るときも「騰根とはどんな妖怪なのか」だけでなく、「なぜ老婦のそばにいたいと願ったのか」に注目すると、第1期の締めくくりをより深く楽しめるでしょう。
第1期の結末は桃夭たちの旅の終わりではなく次の物語へ続く
第12話「騰根(下)」でアニメ第1期は終了しますが、桃夭や磨牙たちの旅は続きます。
つまり『百妖譜』第1期の結末は、桃夭たちの物語そのものの最終回ではなく、長く続く旅の一つの区切りです。
桃夭は妖怪専門の医者である霊医として各地を巡り、妖怪たちが抱えている病や心の問題に向き合ってきました。
さらに桃夭自身には、失われた「百妖譜」を探すという旅の目的があります。
第2期でも磨牙や柳公子たちと旅を続け、応声や化蛇、媼姫、照海など、新たな妖怪との物語が描かれていきます。
| ポイント | 内容 |
| 第1期最終回 | 第12話「騰根(下)」 |
| 最終エピソード | 「騰根」 |
| 第1期の結末 | 騰根と老婦をめぐる物語が一区切りを迎える |
| 桃夭の旅 | 第1期終了後も続く |
| 旅の目的 | 失われた「百妖譜」を探す |
「百妖譜の最終回はどうなる?」という疑問に対しては、第1期では騰根と老婦の物語が結末を迎えるものの、桃夭たちの旅は終わらず、そのまま次の物語へ続いていくと整理するとわかりやすいでしょう。
第1期で描かれた6つのエピソードは、それぞれ単独でも楽しめます。
一方で最初から振り返ると、人間と妖怪の違いを越えた友情や愛情、別れ、命といった共通するテーマも見えてきます。
第12話まで見終えて桃夭自身の謎や旅の目的が気になった方は、第2期以降も続けて見ることで、『百妖譜』の世界をさらに楽しめるでしょう。
この記事のまとめ
- アニメ第1期は第12話「騰根(下)」で最終回!
- 最終回では老婦と神獣・騰根の過去や長年の絆が明らかになる
- 第1期は「灰狐」から「騰根」まで6つのエピソードを前後編で展開
- 妖怪の能力だけでなく人間との絆や命、心の変化も重要なテーマ
- 第12話で完結するのは「騰根」の物語で、桃夭たちの旅は続く
- 桃夭は失われた「百妖譜」を探しながら各地の妖怪と向き合う
- 第1期の続きが気になるなら第2期以降もチェック!



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